『ウエストミンスター大教理問答 問167』

『ウエストミンスター大教理問答 問167』

問167 わたしたちの洗礼は、わたしたちの手で、どのように良く用いられなければならないか。

Iseisan_01.jpg


答   わたしたちの洗礼を良く用いるという、必要でありながら大いに無視されている義務は、わたしたちの手で、全生涯にわたり、特に試みの時と、他人に洗礼が執行される場に臨席する時に、行われなければならない。

 それは、洗礼の性質・キリストがこれを制定された目的・洗礼によってもたらされ保証される特権と利益・その時にしたわたしたちのおごそかな誓いを、真面目に感謝に満ちて思いめぐらすことにより、また洗礼の恵みとわたしたちの約束とを罪深く汚していること・それに敵対して歩んでいることのために、へりくだらされることにより、またこの礼典でわたしたちに保証された罪のゆるしと他のすべての祝福との確信に成長することにより、
 またわたしたちが洗礼によって入れられているキリストの死と復活から、罪に死に恵みに生きるための力を引き出すことにより、また洗礼に際して自分の名をキリストに献げ切った者らしく、信仰によって生き、聖と義によってふるまうよう努力し、一つの体となるように同じみたまによって洗礼を施された者らしく、兄弟愛のうちに歩むよう努力することによってである。



aisaku_01.jpg