『思いわずらいをやめるとは』 

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『思いわずらいをやめるとは』


『思いわずらいをやめるとは』


「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。
何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、
求めているものを神に打ち明けなさい。
そうすれば、
あらゆる人知を超える神の平和が、
あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」
(フィリピ4:6~7) 



「思い煩うのはやめなさい」。
信仰によって得られる平安もなしに、考え続けることをやめます。
いったん休みます。そして、信仰によって考え直します。
神とその御言葉に尋ね求めながら、祈りつつ考えます。



「どんなことでも」
その大小にかかわらず、とにかく思い煩うのをやめます。
原因がはっきりしている大きな岩のような思い煩いも、
どこから生じているかわからない小さなとげのような思い煩いも、中断します。



「感謝をこめて祈りと願いをささげ」
あせって祈らず、神をほんとうに知る心を持つ者として祈りと願いをささげます。
すでに多くのものを受けている者として、神を求めます。
足りないものに心をとらえられて、我を失わず、
神の恵みによって今日の私があることを覚えつつ祈ります。



「求めているものを神に打ち明けなさい」。
何を求めているのかわからないままではなく、求めつつ考え、学んで祈ります。
何かが起きるとしても、何も起きないとしても、
主の御言葉に尋ね求めるとき、知恵が与えられます。
そして、知恵を尽くして祈ります。主は、そのような祈りを待っておられます。



「わが子よ、あなたの心が知恵を得れば、わたしの心は喜び祝う。
あなたの唇が公正に語れば、わたしのはらわたは喜び躍る。」
(箴言23:15~16)



「あらゆる人知を超える神の平和」
 思い煩いは人知の中にあります。
平安は、人知を超える神の中にあります。
世が与えるのとは違う仕方で、正しく祈る人の心と考えは守られます。