『最も小さく、弱いものも』
「最も小さいものも千人となり、最も弱いものも強大な国となる。
主なるわたしは、時が来れば速やかに行う。」
(イザヤ60:22)
これは、人がいろいろと考え抜いた末に、その心に浮かんだ将来の姿ではありません。
神のご計画です。神が、ご自身の民について見ておられる将来の姿です。
もし、私たちが教会の将来について確かな考えを持とうと思うなら、これです。
「最も小さいものも千人となり、最も弱いものも強大な国となる。」
どこに、そのような将来を見ることができる条件や根拠があるかと問われるかもしれません。
教会自身のことを考えたなら、確かなものは何もありません。
しかし、人間のことではなく、神のことを思うなら、これ以上確かなことはありません。
「主なるわたしは、時が来れば速やかに行う。」
私たちが、今、どれほど確かにこの目でその実現のしるしや兆しを見ることができるかどうかはわかりません。
小さいものが大きなものとなり、弱いものが強いものとなるのを経験することもあるでしょう。
主の御業が実現していくのを、自分自身の歩みの中に知る人々は、幸いです。
しかし、忍耐しながら待ち望み続ける人々は、さらに幸いです。
悔い改めて福音を信じる信仰を新たにしつつ、待ち望みます。
人の誉れも、自分なりの満足にも乏しいかもしれません。
しかし、主において喜びます。その喜びを主は成長させてくださいます。
主イエスはこの幸いを確証されました。
「見ないのに信じる人は幸いである。」
(ヨハネ20:29)
誰も、そのような人々からこの喜びを奪うことはできません。
福音であるイエス・キリストを信じる信仰によって、
神のご計画を自分のものとさせていただいた人々だからです。
「最も小さいものも千人となり、最も弱いものも強大な国となる。」