【今年度の教会目標】 『祈る教会』83

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【今年度の教会目標】 『祈る教会』83


【今年度の教会目標】 『祈る教会』83

「ダビデは、サウルの上着の端を切ったことを後悔し、・・・」
(サムエル上24:6)


ダビデの心は痛みました。

主の言葉が、彼の心に書き記されていたからです。

人々も、主の言葉が意味するところは知っていました。

しかし、それは彼らの心の外にありました。

だから、彼らの心が痛むことはありません。

サウルの上着の端を切るどころか、彼を殺したとしても、
ほとんどの人々がダビデを認めて、こう言ったでしょう。



「主が、サウルをダビデの手に渡されたのだ。」



しかし、ダビデにとって、主に背くことは自分の心に背くことでした。

神によって救われた人の心の姿を、ここに見ます。

それは、やがてキリストにおいて成就される救いを、先立って指し示すものでした。

キリストが救いを成就される日には、ダビデのような心を、あらゆる人々が与えられます。



「来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。
すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す・・・」
(エレミヤ31:33)


心に書き記された言葉に従って、心の痛みを覚え、
またその言葉に従って、望み得ないときにも望みを抱いて主を信じます。

そのとき、人々は自分の心に書き記された言葉によって主を知るので、
隣人どうし、兄弟どうし、


「主を知れ」と言って教えることはありません。
小さい者も大きい者も、自分の心で主を知るからです。
( エレミヤ31:34)