『ウエストミンスター小教理問答 問18』

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『ウエストミンスター小教理問答 問18』

『ウエストミンスター小教理問答 問18』 2012年12月9日

問18 人が堕落した状態の罪性は、どの点にありますか。

 答  人が堕落した状態の罪性は、次の点にあります。すなわち、アダムの最初の罪の罪責を負うていること、原義を失っていること、人の性質全体の腐敗つまりいわゆる原罪があること、そこからあらゆる現行罪が生じていることです。



 神の御前で、罪とは?  罪人とは?




 人は罪人だから罪を犯します。
人の罪性(人が罪人であるという事実)は、行いとしてあらわれた罪だけを問題としていません。心からあらゆる罪の行いが生じてくるからです。

「悪意、殺意、姦淫、みだらな行い、盗み、偽証、悪口などは、心から出て来るからである。」(マタイ15:19)

「・・・人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのです。そして、欲望がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。」(ヤコブ1:14-15)

そのような心の動きにまで目を向けたときに、すべての人の罪性が明らかになります。



 人の性質全体の腐敗、原罪とは?



 人の性質全体が腐敗しているといっても、人がまったく何一つ善いことを行えないというわけではありません。パウロは、「律法の義については非のうちどころのない者でした」と言うことができました。(フィリピ3:6)
 しかし、そのような正しさは人前での正しさであって、神の御前で通用するような正しさではありません。人の心をご覧になる神の御前に立つとき、パウロはこう叫ばざるをえませんでした。

「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。」(ローマ7:24)

 自分の目が罪を犯したなら、目だけが悪いとは言えません。あるいは、手足が罪を犯しても、口が罪を犯しても、同様です。そして、すべては人の心から出てきます。あるいは、すべては心の中に秘められていて、外には出さないから、だいじょうぶだとも言えません。

「わたしたちがイエスから既に聞いていて、あなたがたに伝える知らせとは、神は光であり、神には闇が全くないということです。」(第一ヨハネ1:5)

神との交わりを持つ人々は、罪を隠す闇の中を歩み続けることができません。