『ウエストミンスター小教理問答 問107』

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『ウエストミンスター小教理問答 問106』

『ウエストミンスター小教理問答 問107』 2012年7月22日

問107 主の祈りの結(むす)びは、私たちに何を教えていますか。


答 「国と力と栄えとは、限りなく、なんじのものなればなり、アーメン」という主の祈りの結びが教えている事は、私たちが、祈祷における励ましを神だけから受けるということ、また祈祷において、神に国と力と栄光を帰して神を賛美することです。また、自分の願いと聞かれる確信とを証言して、私たちは「アーメン」と言うのです。



「祈祷における励ましを神だけから受ける」


 神が、私のような者の祈りを聞いてくださるだろうか? 
自分のことをくよくよと考えている限り、祈りへの励ましはなく、確信も生まれません。ますます祈れなくなります。
神は、私のような者の祈りこそ、聞き上げてくださる! むなしい確信であり、うぬぼれです。
私たちが自分ではなく、ただ神のみに心を向けるとき、そこには尽きることのない祈りへの励ましがあります。

「国と力と栄えとは、限りなく、なんじのものなればなり」



「祈祷において、神に国と力と栄光を帰して神を賛美する」


 確かに祈ることは祈ったが、だいじょうぶだろうか? 
こんなふうに祈りながらも迷うのが、私たちの悲しい現実ではないでしょうか。祈りつつも疑うのは、神に対するこの上ない侮辱でしょう。それこそ、賛美の正反対のものです。しかし、神は待ってくださいます。導いてくださいます。賛美できない者を、賛美する者に造り変えてくださいます。

「国と力と栄えとは、限りなく、なんじのものなればなり」 

このように祈って、ほんとうに神を賛美するとき、その祈りそのものが祈りの答えです。
確かに祈ったのだ! だいじょうぶなのだ! 
「国と力と栄えとは、限りなく、なんじのものなればなり」と祈る人の心に宿る確信です。しかし、その確信が、悪魔にとってもっとも忌まわしいものの一つであるかもしれません。

「信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい。」(第一ペトロ5:9)