『ウエストミンスター小教理問答 問100』

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『ウエストミンスター小教理問答 問100』

『ウエストミンスター小教理問答 問100』 2012年6月3日

問100 主(しゅ)の祈りの序言(じょげん)は、私たちに何を教えていますか。

答 「天にまします我(われ)らの父よ」という主(しゅ)の祈りの序言(じょげん)が私たちに教えている事は、私たちを助ける力と志(こころざし)をもっておられる神に、全(まった)くきよい崇敬(すうけい)と確信(かくしん)とをもって、父に対する子のように近づくこと、また、私たちが他(た)の人々と共に、他(た)の人々のために祈らなければならない、ということです。



「私たちを助ける力と志をもっておられる神に、全くきよい崇敬と確信とをもって、父に対する子のように近づくこと 」


 ほんとうにそのように近づいて祈ることができたなら、それは「新しく創造された者」として生き始めています。(第二コリント5:17)神は、「アッバ、父よ」と呼ぶ御子の霊を私たちの心に送ってくださいました。(ガラテヤ4:6)キリストは父なる神のふところにいる独り子として、地上の生涯を祈りのうちに過ごされました。(ヨハネ1:18)嵐の中でも、多くの人々に囲まれても、一人残されても、十字架の上でも、父なる神のふところにいる独り子として祈り続けておられました。御子の霊に導かれて私たちも同じように祈ります。


「私たちが他の人々と共に、他の人々のために祈らなければならない、ということ」


 御子の霊は、私たちを交わりへと導いてくださいます。
神は、神の霊によって導かれるすべての人々の父です。たとえ一人で祈る時でも、私だけの父ではありません。
「我らの父」です。それゆえ、一人で祈るだけではなく、他の人々と共に、他の人々のために祈らなければなりません。

「どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。」(エフェソ6:18)

「そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。」(第一テモテ2:1)