『律法を愛する』

| HOME |
| 論壇 |
『律法を愛する』

『律法を愛する』 (詩編119編97-104節)

「わたしはあなたの律法をどれほど愛していることでしょう。
わたしは絶え間なくそれに心を砕いています。」(97節)



 神に従う道を教える律法こそ、あらゆる祝福を約束するものです。
それは「夫に幸いはもたらすが、災いはもたらさない有能な妻」のようです。(箴言31:10-12)律法を愛するなら、名誉、健康、富、財産など、あらゆる祝福が約束されています。(箴言4:8、4:22、8:18など)あるいは、子孫の生活への祝福も約束されています。(詩編37:25)その他にも、聖書全体から無数の約束を得ることができるでしょう。


 しかし、律法に対する一目ぼれはないと思います。律法を愛するのは、主との交わりを深めることに伴ってです。主に従う歩みを通して、律法を愛するように導かれていきます。そして、たとえ現実が律法の約束と食い違うように見えても、様々な試練を越えて愛するのです。 


 律法を愛してその祝福を受けるためには、現実との食い違いに忍耐することのできる信仰が必要です。
聖書では、単なる健康も、財産も、名誉も、「草の花の華やかさ」にたとえられています。それに対して、主の御言葉が約束する祝福は、失われることなく、尽きることがありません。

「主の御言葉は永遠に変わることがない。」(第一ペトロ1:24-25)

 ただし、この御言葉の約束は、この不信仰な世の現実の中に、種のような仕方で蒔かれて、種が成長するような仕方で進展していきます。だから、豊かな実りを見たいなら、

「立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して」実を結ばなければなりません。(ルカ8:15)

主が、わたしたちの内に律法を愛する心を養い、強めてくださいますように。